何故か軍団という言葉が好きな人たちがいる。
たけし軍団、石原軍団、日光猿軍団、・・・・
会社の社員たちを軍団と呼ぶ教え子たちもいる。
自分の遊び仲間を軍団という後輩もいる。
たけし軍団なんぞは、徒党を組んで出版社に押しかけたこともある。
共同正犯、これぞまさしく軍団に相応しい行為だ。

私にも、私を支えてくれる仲間たちがいる。
でも、軍団というほど強固な絆では結ばれていない気がする。
共同正犯的行為は受け入れたくない。
でも、一声掛ければすぐに集まってくれる。
その道の専門知識を教えてくれるし、力も貸してくれる。

私の場合は、このゆるい感じで結ばれた人間関係の方が好きだ。
このゆるい関係の中では、規律は要らない。
「好きだから」くらいの意識で結ばれている。

彼らは、恐らく好きだから私に年賀状を出すのだろう。
年賀状をくれた、くれないなんて馬鹿な関係ではない。
相手が出そうが出すまいが、自分が好きだから出している筈だ。
「この人は去年くれなかったから出さない」なんて大嫌いな生き方だ。
一年に一回、そんな悲しい作業をしている人たちを見ると空しくなる。
だから、そんな関係で結ばれている人の輪は私には要らない。

私は年賀状を出さないが、好きな人をよく訪ねる。
習慣的な盆暮れの挨拶状も出さないが、その頃にもよく訪ねる。
もちろん、手土産くらいは持っていくこともある。
会って話しをして、顔を見ながら楽しい時間を過ごすのが好きなのだ。
そんな血の通った人間関係の輪はせいぜい30人くらいが限度だ。
年賀状の150人なんていう大きな輪を作ることは私には不可能だ。

年賀状で習慣化された大きな輪の人間関係は疎ましい。
そんな習慣化された絆は私にはなくてもいい。
だから、私には、盆暮れが殊更に忙しいということもない。

またお盆の季節がやってくる。
手土産を持ってあの人に会いに行こう。


美し過ぎる議員ももう三十路

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